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執筆者の写真あじさいプロジェクト

【あじさいプロジェクト】大熊町聞き書き活動15 永井文成さん・ミネ子さん

2020年1月18日、福島県いわき市にお住まいの永井文成さん・ミネ子さんご夫妻にお話を伺いました。お二人は震災前、ご自分の田畑や農協のリースなどの土地で、水稲やほうれん草、キウイを育てられていました。長年農業を続けられてきたお二人に、農業をする上でのこだわりや震災前の大熊町での暮らしなどについて、お話をしていただきました。



● 大熊での暮らしを振り返って


[文成さん]

キウイは(栽培を始めてから)50年で、10年震災で遊んじゃった(間が空いてしまった)から、一番長いのはやっぱり田んぼ。先祖からの譲りものだから、(大熊の畑が)みんな中間貯蔵で持っていかれたのでたまに行くとびっくりする。


[ミネ子さん]

うちは東電(福島第一原発)の敷地の隣なんです。ほとんど東電敷地の裾野に我が家の土地があるという感じで。東電があったから自動車の数は多かったけれど、まわりの雰囲気も人間関係も、静かというか、おっとりしていた。何かとろっとした(落ち着いた)感じだった。


今は(少し遠出をしようと)車で出発しても、町中に行くよりは結局山の方に向いちゃうんですよね。田んぼの真ん中のあぜ道を車で走ったり。農作業をやっていた10年前は「大変だったな」と思ったけれど、今となってみれば本当に懐かしいというか。でももう年齢が年齢だから、結局もう弱っているんですよ。


今は何もやっていない。孫が学校が終わると、途中、立ち寄ってくれるのが唯一の楽しみです。そのぐらいで何の楽しみもないですね。ただ地域の方から誘われてハーモニカのサークルとか、あと書道のサークルに入れてもらって、楽しくやっているぐらいです。

<お話をしてくださる永井さんご夫妻>



● 大熊で育てた自慢のほうれん草


[文成さん]

我々が作るほうれん草は食べると柔らかいから美味しい。


[ミネ子さん]

自分のところのことを言うのはおかしいけれど、本当に美味しいと思っていたね。


[文成さん]

ほうれん草は、ちょうど隣町でやっていた人がいて、これはいいなと思って始まったんです。なぜかというと、我々の浜の近くでは合っているなと。だから、地の利を活かした作物でないと競争には勝てないと思ったから(始めました)。


ほうれん草は冬の作物なので、夏に30度以上になると生育がストップするんです。だから浜のそばでないと絶対に育たないんです。だから浜のそばで売って、しかもサコマという日除けをかけて、温度を下げて高値で販売するように、夏に育てるように出荷していたわけです。同じ大熊でも、本当の浜のそばで。今の原発のあの辺でないと。


[ミネ子さん]

本当はヤマセ*の吹くところが一番いいんです。ヤマセだと温度がざっと下がるから。だから大熊でもほうれん草ができるのは、東電の南側と、あとは熊川の浜の方ぐらいしかないんです。だから(栽培が)始まった。冬はどこでもできますけれど、夏に作るには。

*ヤマセ:東北地方太平洋側に6月頃から8月頃にかけて吹く、冷たく湿った季節風のこと。当該地域の農作業に重大な影響を与える。


(こだわりとして)化学肥料はあまり入れなかったから、主に大熊でカントリーエレベーターという籾を乾燥させる施設を農協でやっているので、そこのゴミが出るんです。そのゴミをもらってきて、木村(紀夫)さんのところで豚をやっていたので、その豚の乾燥した糞を混ぜて堆肥にして、それを入れていた。それだけ。あとは何の肥やしも入れていない。


[ミネ子さん]

(収穫が遅れて売り物にならなくなったほうれん草を)近くの人に配って歩いたけれど、そういう人たちには、10年後の今でも「あのほうれん草食べたいね」と言われます。


[文成さん]

だから大熊のほうれん草は、いわき市場でも一番か二番の値段(だった)。

<聞き書きの様子 (2020年1月)>



● キウイ農家という顔も持ち合わせていた永井さんご夫妻


文成さん:(キウイ栽培は)最初は大熊町で町おこしで推進したんです。今から50年ぐらい前ですね。それで始まったわけです。それでみんなそれぞれうまくいったので、ちょっとずつ増やして。15ヘクタールぐらいあったかな。震災になる前頃は大熊の特産だったからね。福島県で大熊と言ったらキウイか梨ぐらいだったから。キウイというのは、果物はみんな同じだと思うけれど、その家、その家の肥やしというか、手入れの仕様によって味(の差)が出る。手入れをすればするだけ、味に出てくる。化学肥料ばかり入れると全然コクがないし、サラサラで、全然味がないのと同じで。有機肥料ばかりだったから、一言で言えばまろやかな味でいいんじゃないかな。

 

♦編集後記

率直に故郷を思い続けるご夫妻のお気持ちに感銘を受けました。いつの日か、ご夫妻が大熊町でお米やほうれん草、キウイの栽培を再開できるよう願うとともに、私たちの活動が少しでもそのための助けになればと思います。ご夫妻のご自宅は現在中間貯蔵施設となってしまっており、しばらくは大熊町に戻ることはできないし、戻れたとしてもそこにはかつての大熊町の景色は残っていません。改めて「復興」とは何なのか考え直す機会となりました。

【編集:町田兼都】



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