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【HearTo プロジェクト】#10「人との繋がりを大切にする」株式会社シェリーココCEO川口莉穂さんがさまざまな困難にぶつかっても事業を続ける理由

更新日:2021年8月19日

聞き手:小野芽衣

記事編集:小野芽衣、佐々木妃那


新型コロナウイルスの感染拡大がなかなか収束しない中で自分の方向性が定まらず、焦りを覚えている学生は多いのではないだろうか。この企画では実際に社会の様々な分野で活躍する方々に『国際協力×ターニングポイント』をテーマにインタビューを行い、学生の自己実現の助けになるヒントを探っていく。



今回インタビューを受けていただいた方は、前回に引き続き、株式会社シェリーココのCEO兼デザイナーとして活躍されている川口莉穂さん


前回の記事では、川口さんの人生の方向性を決める大きなきっかけとなった高校時代のタイ留学から、東日本大震災のボランティア、就活の経験を通して、ブレない軸を持つことの大切さについてお聞きすることができた。


川口さんは、大学卒業後、青年海外協力隊の任務期間中に、アフリカ布で仕立てた服を販売するシェリーココというプロジェクトを立ち上げ、活動している。


今回の記事では、青年海外協力隊の任期を終えて日本に帰国してから、シェリーココを再び事業として発展させることとなったきっかけ、そして、日本のビジネスパートナーとの仲違いを経験した川口さんが立ち直るまでを「人との繋がり」というキーワードを通じてお聞きした。

 

■ ベナンの人々がモチベーションとなったシェリーココ事業


川口さんのモチベーショングラフ⑦シェリーココ創業から⑨会社設立に至るまで、グラフが大きく上下している。この間に川口さんはどのような思いを抱き、どのように道を切り開いていったのだろうか。


――日本に帰ってもシェリーココの事業を続けようと決めた理由を教えてください。


「シェリーココを始めてからちょうど一年後くらいに青年海外協力隊の任期が終わって、いったん帰国したのですが、そのあとそのまま日本で就職するか迷ったときに、この2年間が終わったからってベナンの人たちともう一生バイバイっていうのが嫌だな、と思ったんですね。今考えると、シェリーココ頑張ろうと決めたモチベーションが、仕事ではなく1人の人間としての、ベナンの人たちへの愛情だったと思うんです」


――日本で就職しつつシェリーココの事業をやろうとは考えなかったのですか。


「たしかに日本で普通に就職して、自分でお金を貯めて、毎年一回とか普通に旅行でベナンに帰ることはできたかもしれません。けれど、それよりももっと密にこれから先の人生を一緒に過ごしたいなって思って、シェリーココをちゃんと頑張ろうと思ったんです」


川口さんが持つベナンの人たちへの愛情は、シェリーココを青年海外協力隊の任務の一環として捉えるのではなく、川口さん自らの人生の一部とさせていたのだ。


また、日本に帰国した後も、青年海外協力隊の任期中に現地で出会ったベルアンジュという現在も強力な事業運営のパートナーとしてシェリーココの右腕となっている女性と、メメ親子という自身でアフリカ布を生産しながらも生活が立ち行かない故に周囲からの援助を受けて生活している母子への深い思いもあったという。


「ベルアンジュとかメメのお母さんとかを巻き込んでシェリーココを始めてしまった手前、協力隊が終わったから、あとはベナンでの商品販売頑張を彼女たちに頑張ってもらおう、と手放しにするのではなく、彼女たちが今後どうなっていくのか見守り続けたい、という思いがありました」


シェリーココの製品に使用する色鮮やかなアフリカ布・パーニュ

■ モチベーションが大きく下がった日本パートナーとの仲違い


ベナンの人々との出会いを大切にしたいという想いから、協力隊の任期終了後もシェリーココを事業として発展させることを決断した川口さん。しかし日本パートナーとの仲違いによって、シェリーココへのモチベーションは一度大きく下がることとなる。


「日本のビジネスパートナーとの仲違いは、簡単に言えば価値観の違いが原因でした。彼はビジネス色がすごく強かったんです。彼が決めた会社としての目標の達成のために、かなりの無理難題をぶつけられました。それでも最初は私も彼を信頼していたので、指示通りにやることにしました。そうして、本当に寝る間も惜しんで作らないといけないくらいの量を頼んでしまった時期もありました。」


「でも、疲れ切ってしまっているベナンの人々を見て、自分たちが会社を大きくしたいからという理由でこんなに無理して頑張らせる必要があるのかな、私がやりたかったのって本当にこれかなってやっぱり考え直して、その仕事の進め方はやめました。」


この時期は川口さん自身もかなり疲れてしまい、数ヶ月仕事を休み、「もうシェリーココをやりたくない」とすら思ったことがあるそうだ。そんな時期をどう立て直したのだろうか。



■「私のモチベーションはもう完全にベナンの人々です。」川口さんの原動力となったベナンの人々との繋がり


――大きく下がったシェリーココへのモチベーションは、どのようにして立て直したのでしょうか。


「それはやっぱり、ベナンの人々の存在でした。」


「私が日本パートナーと仲違いしたことはベナンの人たちとは全く関係のないことだから、私は辞めずにもう一度頑張ってみようと思い直したんです。ベナンの人々との関係が続く限り私がシェリーココを辞めることはないだろうなって自分の中で再認識しました」


もう一度シェリーココとして頑張ることを決めた川口さんを支えたのも、ベナンの人々との繋がりだったという。


「仕事をちょっと休んでいる数ヶ月の間に、別件でベルアンジュが3週間くらい日本に来たことがあったんです。ちょうど日本パートナーの彼には辞めてもらって、私はもう一回新たにシェリーココを頑張ろうと決めたときで。ベルアンジュがいろいろ話を聞いてくれて精神的にかなり支えられました」


会社設立から、「人との繋がり」を大切にしてきた川口さん。インタビューの最後に、学生へのメッセージをお聞きした。



■ 川口さんが大切にし続けている「ブレない軸」


――これから将来設計を行う学生に向けて、メッセージをお願いします。


「私には『人のため』というブレない軸が小学生の時からあり、今はその“人”という大きなものがベナンの名前も顔もわかる一人一人となって、その人たちをモチベーションとして頑張っています」


「何でもいいので本当に好きなこと、色、食べ物、文化など何か自分の中での絶対ブレない軸が一つでも決まれば、色々遠回りをしてしまっても、その道に戻ってこられると思います」


「軸というものがまだ見つかっていなければ、少しでも興味が沸いた人をSNSでフォローするなど簡単なことでも良いので、自分から情報を取りに行くと良いと思います。コロナ禍で対面でのイベント開催や現地に異足を運ぶことは難しくなっていますが、逆に情報を得やすい環境になっていると思います」



 

今回のインタビューでは、川口さんの人生におけるモチベーションの変動を表すグラフを事前に作成していただき、グラフに沿ってお話を伺った。




モチベーショングラフをもとに改めて川口さんの人生を振り返ってみると、タイ留学では自分の周囲の人々の困っている現状に目を向け、その後青年海外協力隊としての活動に尽力し、任期終了後もシェリーココを事業として継続されるなど、「人のため」というブレない軸を持ち続けられてきたことが伺える。


そしてそのようなブレない軸によって「色々遠回りをしてしまっても、その道に戻ってこられる」という言葉通り、人との繋がりは、任期終了後や日本パートナーとの仲違いなど、モチベーションが下がったときの川口さんにとっていつも大きな原動力となっている。


やりたいことが見つからないままコロナ禍に突入し、対面での様々な活動が制限され、途方に暮れている大学生は多いだろう。しかし川口さんがおっしゃっていた通り、反対にインターネットでの情報収集がしやすい時代でもある。先行きが不安なコロナ禍でも「自分から情報を取りに」行き、自分の中の「ブレない軸」を見つけることによって、少しでも自分の将来像を描いていけるようになるのではないだろうか。



【インタビュイー:川口莉穂さん】

高校生のときに留学したタイでの経験から発展途上国の人々に興味をもつようになる。青年海外協力隊の隊員として西アフリカ・ベナン共和国に渡り、アフリカ布を用いた製品の製作を開始。日本帰国後、株式会社シェリーココを立ち上げ、色鮮やかなアフリカ布で作られた製品を販売している。





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