記事:阿部祐大
多くの学生にとって将来の働き方、生き方は大きな悩みの一つである。
今回のインタビュイーは、“教育百貨店”こと平野夏紀さん。平野さんは新卒で大学受験塾に英語科講師として就職。教室長も務め、”最優秀教室長”を二度受賞したのち、人事部に異動し、新卒採用を担当。その後、大手転職エージェントに転職。現在は退職し、youtuber 兼 塾のコンサルタントとして活躍されている。
数多くの仕事を経験した平野さんに「人生のターニングポイント」についてお話を伺った。
平野さんには事前にモチベーショングラフを作成してもらっており、今回はそれに沿ってインタビューをさせていただいた。
【勉強好きから勉強嫌いに。赤点連発の高校時代】
--平野さんの小中学生時代のお話を聞かせてもらってもよろしいでしょうか。
「小学生の頃は、担任の先生に恵まれていたというのもあって、勉強は好きだったんですよ。なので勉強のモチベーションは比較的高めだったと思います。」
「中学生の時は、最初に野球部に入ったんですけど、監督のいうことは絶対みたいな野球部という組織が嫌でしょうがなかったんですね。なので、体育の授業で右肘を怪我してしまったことがあって、それを言い訳にして野球部をやめました。勉強のモチベーションもそんなに高いわけじゃなかったです。4月の最初の授業で、学校の授業だけでは100%は理解できないって思っちゃったんですよね」
--平野さんの高校生時代はどのような感じでしたか?
「僕はターニングポイントが一個ここにあると思っています。公立高校の受験に失敗して、私立高校に行ったんですけど、そこが進学校だったんですよ。なので授業の進度が早いし、科目数も多かったんです。だからモチベーショングラフは平行に書いてますけど、下手したら勉強のモチベーションはもっと下がってるかもしれないです。赤点を連発するような高校生活を3年間を送っていたという感じでした。それでそのまま大学受験をして、全部落ちました」
【恩師との出会い。「人の夢は5秒で変わる」】
今度こそ勉強をすると親を説得し、一年間浪人をするという事になった平野さん。浪人時代に通っていた予備校で運命的な出会いを果たす。
「当時通っていた河合塾で一番人気のあった先生がいらっしゃって、英語の解法がすごかったんですよ。文法をロジカルに解いていく方法を取っていて、暗記が嫌いな僕にとっては、一個の法則を使ってあらゆる問題に対応していくっていう解法が、すごく鮮やかで衝撃だったんです。その時に、自分もこういうのを教えられるようになりたいと思いました。それで英語の予備校講師になりたいというモチベーションが湧いてきました」
「教員一家で育った影響もあって、小中高までは教員というのをぼんやりと考えてはいましたが、ここで、『教員じゃない、予備校の先生になる!』って完全に切り替わりました。人の夢って5秒で変わるんだなって思いました」
【エンジン全開だった大学生時代。「20歳の時何をされていましたか?」】
ここで今回の企画の目玉である「20歳の時に何をされていたか」について聞いてみた。
「20歳の時に一生懸命頑張ってやったのは、塾のアルバイトですね」
「高校生の英語の個別指導を担当する先生って名古屋大学の人ばっかりなんですよ。なので、そこに入り込むために、急な欠員が出たらすぐに行くようにしていました。そして、すごくわかりやすく教えて、生徒と仲良くなって、次の授業も平野がいいって言わせてコマをどんどん奪っていったんですよね。モチベーションはめちゃくちゃ高かったです」
「予備校の先生になるための最初のステップだと思っていたから、意地でやっていました。常に塾や英語のことが頭から離れなくて。エンジン全開でした」
【人生初の病み期到来。直面した”入社ギャップ”】
--就職活動はどのような感じでしたか。
「塾オンリーでしたね。関東の塾の大学受験部門がある学習塾を5社と、名古屋で2社くらい受けました。その中で大学受験課に配属を約束してあげるっていってくれた塾があったんですよ。大学受験の先生をさせてくれるんだったらいいかなと思って内定を承諾しました」
しかし、平野さんは希望していた大学受験課の講師になったものの、そのモチベーショングラフは大きく下がっていた。一体何があったのだろうか。
「この時は、人生で一番最初に、本気で病みそうになったっていうくらいモチベーションが低かったですね。授業はできるんですけど、結局は営業活動がメインで、教材や授業の研究をすることはまずなくて、それに絶望しました。いわゆる入社ギャップってやつだと思います。また上からノルマが降りてくるので、よく考えたら、営業が嫌だったっていうよりかはノルマゴリゴリが嫌だったのかもしれません」
「授業が上手だったら生徒は集まってくる」。再びモチベーションは右肩上がりへ
--モチベーショングラフがどん底から再び右肩上がりに上がっているのですが、この時期に何があったのでしょうか?
「夏期講習くらいに、僕の生徒がその友達に僕の授業を勧めたら、行きたいっていってる子が何人もいたんですよ。それで、やっぱり授業が上手だったら生徒は集まってくるっていうのを夏に身をもって体験したんですよね。だからモチベーションが上がってきたっていうのはあります」
【二度の“最優秀教室長”受賞。教室長時代に平野さんが心がけたこと】
--その後、教室長になって、授業と運営の両方に力を入れなければならなくなったと思うのですが、当時どのようなことに一番力を入れましたか?
「最前線に立ってリードしていく校舎運営に変えていきました。現場の最前線に個人的なプレーヤーとして積極的に関わっていくっていうのは頑張ったと思います。ただ、プレーヤーだけをやっていると後ろがおろそかになるので、マネージャースキルも必要じゃないですか。そこで、僕がマネージャースキルを発揮できたかなと思うのは適材適所な人材配置だと思います」
「自分の持っている強みを活かせる仕事を与えるようにするし、自分でもそれを身につけて率先してやってくださいという感じで運営をしていました。その運営方法がハマったからだと思うんですけど、僕の一年間は退職者が一人も出なかったんですよね」
しかし、平野さんはこの時に“あること”を悟ってしまったという。
「実は塾をやめたいっていう気持ちは結構あって、多分予備校講師になれないなって分かっちゃったんですよ。そもそも勉強がそんなに好きじゃないし、過去に歩んできた経歴的に無理だなと思って、営業の方にシフトしようかなって考えました」
予備校講師になるという夢を諦めた平野さん。そんな平野さんは次に何をしたのか、どのような道に進んだのか、続きはこちら!
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【インタビュイー:平野夏紀さん】
塾講師・転職エージェントを経て現在「教育百貨店」YouTuber 兼 塾のコンサルタントとして活躍中。塾の経営や指導法に悩む人の役に立つ動画を発信されている。
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