”国内問題を自分ごとに”をコンセプトに活動しているあじさいプロジェクトでは、先日、今年度二回目となる勉強会を開催した。今回から新入生の参加も受け付け、早速5人の1年生が参加してくれた。
筆者がファシリテーターを務めた今回の勉強会のテーマは、「同性婚から考える憲法改正」だ。このテーマを設定したきっかけは、3月17日に札幌地方裁判所が、「同性婚を認めない民法などの規定が違憲である」という判決を下したというニュースだ。国内外で大きく取り上げられたこの判決は、様々な面での"平等"の意識が高まる現代の社会において、大きな意義のあるものであったと言えるだろう。話題になったこの判決をもとに、改めて憲法のあり方について議論する場を設けたいと考えて、今回の勉強会を開催した。
■世論調査から見えてきた「憲法の話をする」ことの必要性
今回の勉強会で最初に筆者が紹介したのが、2019年に朝日新聞が行った「憲法と政治意識の世論調査」の結果だ。この調査によると、「今の憲法を変える必要があるか」という問いに対して、「変える必要がある」と回答した人が全体の38%、「変える必要はない」と回答した人が全体の47%であった。一方で、「国民の間で改憲気運が高まっていると思うか」という問いに対して、「大いに高まっている」、もしくは「ある程度高まっている」と回答した人(下のグラフでは『はい』として紹介)は合わせて22%しかいなかった。
<朝日新聞『憲法と政治意識の世論調査(2019)』をもとに作成したグラフ>
憲法改正が国政の重大なイシューに据えられる中で、実際には38%もの人が憲法改正に肯定的な意見を持っているにも関わらず、改憲気運が高まっていると考えている人はわずか22%しかいない。ここに非常に大きな「認識と現実のギャップ」があると言えるだろう。
では、その原因は一体何なのか。それは、私たちが身近な人と憲法の話をしていないからだと筆者は考えている。学校の授業で憲法の内容を学習したことはあるが、実際に身近な人と憲法の話をしたことはないという人がほとんどだろう。しかしながら、昨今憲法改正の是非が国政の大きな争点になっていることを踏まえれば、私たち自身がより積極的に憲法の話をする必要があるのではないだろうか。
■ここ6年で急激に変化した同性婚をめぐる人々の意識
続いて筆者が紹介したのが、朝日新聞の世論調査から見た、同性婚についての社会的な意識の変化だ。朝日新聞のこれまでの調査によると、「同性婚を法律で認めるべきだと思いますか」という質問に対し「認めるべきだ」と回答した人の割合は、2015年には41%だったのに、最新の2021年の調査では65%に上ったという。わずか6年の間に、同性婚を認めるべきと考える人が約25%も増えていることから、同性婚をめぐる人々の意識は急激に変化していることが見て取れる。
<朝日新聞の過去の世論調査をもとに作成したグラフ
■「同性婚を認めないのは違憲」だけじゃない。札幌地裁判決の真実
それでは、憲法改正と同性婚についてのこれらの基礎知識を踏まえて話題になった札幌地裁の判決を見ていこう。
この裁判は原告の同性カップル3組が、同性婚を認めない民法などの規定によって、同性カップルが異性カップルには認められる一部の法的利益を享受できないことなどが、個人の尊重などを定める憲法13条、法の下の平等を定める憲法14条、婚姻の自由を定める憲法24条に反するとして、国家賠償法1条に基づき国に対して損害賠償を求めたものである。
このような原告の訴えに対して、札幌地裁は憲法14条についてのみ違憲とし、憲法13条と24条については合憲、また国家賠償法1条の適用上の違法には当たらないとの判決を下した。したがって、種々のメディアでは「同性婚を認めないのは違憲」という部分に注目されて取り上げられていたが、実は違憲とされたのは「法の下の平等」を定めた14条についてのみであり、裁判の結果としては原告側の敗訴となっているのである。
■ 「婚姻の自由」を定める憲法24条も、実は完璧じゃない
先述したように、今回の判決では法の下の平等を定めた憲法14条についてのみ違憲判決が出されたが、ここではそもそも「婚姻の自由」を定めた憲法24条自体にも少なからず問題があるのではないかという点を強調したい。
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
-日本国憲法24条1項
上に記したように、「婚姻の自由」を定めた憲法24条には、「両性の合意のみ」や「夫婦」という男女間の婚姻を想起させる文言が含まれているのだ。これを踏まえ、「両性の合意のみ」に基づいて婚姻が成立するというこの条文をどう捉えるか、参加してくれた一年生に聞いてみると、多くの一年生は「この条文は同性婚を認めていないように思える」と答えた。
一方で、今回の裁判において札幌地裁は、この条文はあくまで異性間の婚姻について定めたものであり、同性婚について禁止するものでも特別な保護を要請するものでもないとの立場を示している。確かにそう言われてみれば、同性婚を禁止すると書かれているわけではないが、札幌地裁が示したような解釈はどうも腑に落ちない。今回の勉強会の参加者の多くは、そのように感じたと言う。
■70年以上不変の憲法。その背景にある成立当時の「常識」とは?
このように、憲法24条の解釈について私たちが違和感を感じるのはなぜなのか。筆者が思うに、それは変化する社会に対して日本の憲法が変化していないからだ。
この憲法が公布された1946年当時の状況を考えてみよう。当時は、日本だけでなく世界的に「同性愛は精神疾患である」という誤った認識が「常識」になっていた。したがって、そんな時代に作成された憲法も、同性愛の存在を一切考慮せずに、異性婚を前提とした条文になっていたのだ。
しかしそこから月日が流れ、今となっては「同性愛が精神疾患である」という認識が誤りであることは科学的にも示されているし、先述の通り、同性愛を認めるべきと考えている人が日本社会の65%を占めるようになっている。
つまり、時代の流れと共に同性婚をめぐる社会的な認識は変化してきたのに、憲法は同性婚なんてあり得なかった時代のままなのだ。憲法24条の規定をめぐるこうした現実を、あなたはどう考えるか。それが、この勉強会の最後に筆者が参加者に問いかけた質問だった。
■これからの「私たちの憲法」のために
この質問について、ブレークアウトルームに分かれて4人から5人で意見交換をした後に、最後に各ルームで話したことを全体で共有してもらった。
「この条文は確かに時代にそぐわない」という声や、「同性婚の問題を解決したいので、法律や憲法の観点からも考える必要があると思った」など憲法改正の必要性に肯定的な意見もあった一方で、「それでも憲法改正には慎重になるべきだ」という意見も上がった。
そういった様々な意見がある中でも、多くの参加者が揃って口にしてくれたのが「こういう事実を知ることができて良かった」という言葉だ。ファシリテーターを勤めた筆者は、この言葉を聞いて、この勉強会を開催したことに大きな意味があったことを実感した。
冒頭で述べたように、憲法改正の是非が国政の大きな争点になっているにも関わらず、小難しくて近寄りがたいイメージのある憲法の話題はついつい敬遠してしまう。そんな経験がある人は少なくないだろう。しかし、憲法がこの国のあり方を左右する重大な存在である以上、それは「私たちの憲法」なのであり、私たちのうちの誰一人として憲法に無関係な者はいないのだ。
こうしたことを踏まえれば、日本という国の憲法のもとで暮らしていく私たちは、もっともっと積極的に憲法のことを考え、話し合うべきなのではないだろうか。そんな問題意識のもとで企画した今回の勉強会が、これからの「私たちの憲法」のために少しでも役立ってくれればと思う。
次回の勉強会は、今月28日に「ビニール袋有料化と私たちの暮らし」というテーマで開催する予定だ。
【ライター:阿部翔太郎】
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