日々言葉と向き合い、小説家として活動する彼女は何を想っているのか、何を読者に伝えようとしているのか。
第二章では、小説家となるきっかけや彼女の読者への想いについてお聞きした。
様々な表現方法がある中で、小説という方法を選んだ温さん。彼女は小説家として何を想い、読者に何を伝えようとして、言葉を書き残していくのか。第二章では、温さんが小説という手段を選択したきっかけや彼女らしさの表現方法、そして読者の私たちに伝えたいことについてお話を伺う。
いろんな表現方法がある中で、なぜあえて小説家という道を選ばれたのですか。
ーー小説は、時間はかかるかもしれないけれど、読んだ人たちや触れた人たちの意識を少しずつ良い方向に導いていけるものだと思っているからです。私が大学生の頃、やっぱり自分は本当の台湾人じゃなきゃいけない、本当の日本人じゃないかもと悩んでいた時に、ある在日韓国人女性の小説に出会ったんです。私はどっちでもあるんだと、そこには書かれてありました。その作者は私より25歳年上で、若い頃からずっと悩まされてきたことを彼女は乗り越えた形として1つの小説に書いていました。それを読んだ私は、「私の人生のヒントになっているな」、「あ、小説ってこんな力があるんだ」と思ったんです。ずっと苦しんでいたけれどもそれを乗り越えた人や、同じような苦しみを重ねながらも別の良い方向に進もうとする人たちの声が届き、それに感銘を受ける人が少しずつ増えていくということにすごく感動しました。同時に、私も小説を書こうと思いました。これが自分も小説を書こうと思ったきっかけです。
言葉という表現方法を選び、小説家となった温さんは、どのようにして自身が伝えたいことを表現しているのですか。
ーー言葉ってやっぱり怖くて、私自身も感情が先にあるのか、言葉が先なのかわからなくなるときがあります。自己表現しようとしても言葉のフォーマットがすでに存在していて、そのフォーマットに乗っかった方が早かったりする。そしてそのフォーマットに自分を当てはめたら、 慣れてる人にはすごく伝わりやすいかもしれないけれど、それはすでにたくさんの人が使い続けてきたものだから、私自身の感情と全て合うとは限らなかったり。こういったときに、私は「今自分はこう思ってて、先人はこういう表現をしていた。でも私の思いを伝えるにはもっと言葉を補わなきゃいけない。」というように少しずつ足していくことで、自分が伝えたいことを表現していますね。
最近、私たちのような若い世代では特に、「言語力」や「コミュ力」の有無において悩んでいる人が多いと思います。そのように悩んでいる若者に、温さんは小説家として何を伝えたいですか。
ーー私は、言語力がない、と言ってつまずく人の方が実は言語力は高いと思うんです。
私自身19歳ごろまでは、逆に日本語の文章を書くのに全然苦労したことがなくて言語力に関して悩んだことがなかったんですよ。でも、20歳ぐらいのときから言語についての悩みを抱き始めたんです。「書けてはいるけど何か違う。」というものでした。たぶん言語が苦手という人たちは、言葉につまずいている。つまずくというのは、自分の中にまだ残っているものがあるのに、言葉でそれを補えないことに気づいてる人たちが、自分は言葉が苦手だと思い込んでしまっている。言葉のフォーマットと自分の感情のずれにこだわらず、ずれたままでもそれらしいことを平気で次々言ってしまえる人たちの方が、実は言語能力は危ういのではと危惧します。
それに私は、「コミュ力高い」という言い方に違和感があって、世間で流通している意味がどうもしっくりこない。。「コミュ力が高い」と評価されているような人って、当意即妙になんでもすぐ反応できる人のイメージがなんとなくまかり通ってますが、本当に他人とコミュニケーションをとりたいと願ってる人って、すぐに言葉なんて出てこない気がするんです。だから私は、他者と向き合うときに、軽薄な言葉で誤魔化さずに、自分が本当に言いたいことを表現する言葉を模索しながらつまずいたり戻ってしまったりしてしまう人の方が、コミュニケーション能力が高いんじゃないかと思っています。なので、自分がもしそういう戸惑いをしょっちゅう感じているのなら、いわゆるコミュ力が高いと言われる人たちと比べて、焦る必要はないと思んですよね。上面だけの、広くて浅い関係をなんとなくキープするための「コミュ力」を高めたいなら別ですが、そこに大した価値が見出せないなら、いっそ自分の内奥にある感情とゆっくり静かに向き合って、自分にとって本当に必要な人間関係だけを選んで行けばいいと思うんです。でも、まずは、自分との関係が重要ですよね。だからこそ、自分について理解する時に、使い尽くされた言葉のフォーマットに変に振り回されず、そのフォーマットを叩き台ぐらいに思って、そこに自分なりの言葉を足したり引いたりしながら、自分にとってよりしっくりくる言葉を模索する訓練が大事だと思います。そうすれば、言葉と自分の関係は、良い方向に向かってゆくはずなのだから。そして大学生の今がそのチャンスだと思います。
言葉のフォーマットを増やすこと、そして自分との関係を良い方向に作っていくためには訓練が大事だとおっしゃっていましたが、具体的にはどういった訓練なのでしょうか。
ーー私はずっと日記を書いています。11歳の誕生日に綺麗な日記帳を見つけて、それからずっと続けているんですよ。それが今話したような訓練になっていたんじゃないかなと。というのも、ついカッコつけたくて、お酒なんか飲んだことないのに、「今日は私、心が揺れたカクテルのような」とか書いたりしちゃって(笑)。心が揺れた、というのは事実だけれど、カクテルのように揺れた、と書いちゃった途端、自分を表現する方法としては馴染みがなくて、それがやっぱり気持ち悪いことに気づくんですね。とにかく思ってもないことを思ったふりして書くことの気持ち悪さを一度でも体感すると、思ってもいないことは書いてはいけないし、思ってもいないことばかり書いていたら思ったことがどんどん遠ざかってゆくなと感じました。
そして、私がもう一つ訓練としてしていたことが「うまく言葉にできないけど」という言い方を自分に禁じること。これは大学生の頃にやめようと決意した表現です。大体のことはうまく言葉にできないに決まってる。だから初めから、うまく言葉にはできないという前提で、自分が感じたこと、思ったこと、考えたいことを言葉にしようと努力しました。どのようにしてその都度自分の気分を表現していくかをすごく考えるきっかけになりました。
小説を通して自分が感じてきた感動や小説の力をもっといろんな人に伝えたいという思いから小説家となり、活躍なさっている温さん。言葉一つ一つと真剣に向き合う彼女のこれまでの生き方や考え方は、私たちも言葉と改めて向き合うきっかけとなるだろう。
第三章では、温さんがこれからの日本、これからの人々に何を伝えたいのか、彼女の未来への願望について伺う。
【インタビュイー:温又柔さん】
台湾出身の小説家。『台湾生まれ 日本語育ち』『「国語」から旅立って』の著者。2017年芥川賞候補作にも選出されている。
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