今回インタビューさせていただいたのは、小説家として活躍なさる温又柔(おん ゆうじゅう)さん。台湾人の両親のもと3歳から日本で育った温さんは、自身のバックグラウンドから、「普通の」日本人との違いや自分が何者であるのかということに悩み、考えてきた。そのような経験を経て、2016年には『台湾生まれ 日本語育ち』で第64回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞している。彼女は、直面した苦悩をどのように乗り越えて今に至るのか。第一章では、受賞作品のタイトルから、これまでの彼女の経験や考え方の変遷を辿る。同じように悩む読者の方へ、彼女が歩んできた道が、あなたの新たなきっかけになるかもしれない。
『台湾生まれ 日本語育ち』のタイトルについて、「日本育ち」ではなく「日本語育ち」とされた理由は何でしょう。
ーー私は小中学生の頃から、ルーツは台湾にあり両親は日本人ではないけれど、日本で育ちましたとずっと言っていました。ただある時、「日本育ち」という言葉自体が、自分は所詮「外国人」だからと宣言している感じがして。特にこの本を書いた頃に、日本で育った日本人はわざわざこんなこと言わないな、と散々悩みました。そこで、「日本語」だったら初めから自分のものとして揺れないと思ったんです。私にとって「日本人」「日本語」という言葉は少し距離がある。しかし「日本語」なら、堂々と私自身の居場所でもあるということが感じられるので、「日本語育ち」としました。
「日本人」や「日本育ち」という言葉を使うには少し距離があると仰っていましたが、実際どんな時にそう感じるのでしょうか。
ーー普段はあまり距離はないんです。ただぼーっと歩いているだけだったら、自分がどこの人であるかとかはいちいち考えない。感じるのは、誰かに言われた時とかです。例えば自己紹介をする時に「温です」と言うと、一見日本人に見えるのに少しエキゾチックな名前だなと思われて、「実は日本人じゃないんですよ」となぜか自分から補足していて。そんな時に、私は多数派の日本の方にとって説明が必要な部分が多いのだとよく思います。
自分が何者なのかというアイデンティティクライシスに陥っている人はたくさんいると思います。温さん自身が「日本語育ち」だと考えられた時期はいつごろだったのでしょうか。
ーー今まさに悩んでいる方も絶対にいらっしゃいますよね。それぞれ解決の仕方や乗り越え方は異なりますが、私自身が歩んできた道を紹介することで、そんなやり方でもいいんだと思ってもらえると嬉しいです。
私は3歳で日本に来て、13歳ぐらいには、喋りもほとんど日本人と変わらないし完全に自分は日本人だと思い込んで生きてたんです。しかし周囲からは時々、でも違うよねと言われて。そうか、私は日本語がよくできる台湾人だけれど台湾人としては台湾の言葉があまりできないから、みんなにちぐはぐした印象を抱かせるんだなとその時は思い込んでたんです。
そのため中学生の時には、大学生になったら中国語を完璧に学んで、ちゃんとしたバイリンガルになって、日本人でも台湾人でもあるって胸を張ろうと決めていました。ところが、20歳になって中国で勉強し始めると、やってもやっても本物の中国人や20何年ずっと中国語で教育受けてきた人たちには追いつけなくて。私自身の語学力が乏しかったという問題もあったけれど、台湾人なら当然中国語はできるものと思われてるので、少しぐらい中国語が上達したところで、別に褒められない(笑)。その割には、ちょっと下手だと思われたら、台湾人なのに情けないねって笑われたり。要するに頑張っても頑張っても本物の台湾人に近づけない気がしていたんです。しかしその後日本に戻ってきて、完璧な中国語でなくても私は私の中国語で十分私が表現できるんではないかと思った瞬間に、まあいいやって開き直って。誰が本物の中国人、本物の台湾人、本物の日本人を決めるんだという問題の方にすごい意識が向き始めて、この感覚を日本語で書いてやろうと思って。それからすごく、自分を前向きに捉えられるようになりましたね。
そう前向きに捉えられることができるようになったきっかけがあったのでしょうか。
ーー2つあります。一つは、周囲の人に恵まれてたことです。あなたはあなただよ、何人であろうとなかろうと私はあなたが好きだよ、と言ってくれる友人が周囲に何人かいてくれて。私がいちいち何人ですと証明しなくても、ここにいていいんだって思わせてくれる人たちがいたから、 安心して自分で自分を誇れる方法を探せたんです。
しかしその反面、私をよく知ってくれている人たちの輪の外に出ると思いがけず傷つくこともありました。初対面の日本人に向かって自分は台湾生まれなんですと自己紹介すると「大丈夫だよ、名前言わなきゃ日本人に見えるって」と言われ、大丈夫ってなんだろう、とか。中国にいるときは、君の中国語は僕よりもレベルが低いね、と中国語がとても上手な日本人に変なマウントをとられたり(笑)。とにかく、日本人はこんなものだ、とか、中国人や台湾人はこういうものである、ということを信じ切っているような人たちにとっては、私がいびつな存在なんだなということをたびたび思わされていました。もう一つのきっかけは、小説です。モヤモヤしている時に小説を読むことで、何か自分と同じようなことを考えてる人はいないか、と探して乗り越えてきた部分もありました。これが避難所になっていたんですね。
温さんの作品を拝読すると、自分が頑張らないといけないところと頑張らなくても良いところを分けて、周りの意見にとらわれずに前向きになれる気がしました。
ーーよかったです。そこが伝えたかったところなんです。「開き直って下手な日本語を喋ったらいいよ、それがあなたのアイデンティティだから」みたいな、悪い意味での安心をさせたくないので、やはり自分のことばを大事にする気持ちは持ってほしい。しかし、大事にする理由が誰かの目を気にして強制的なものになると、自尊心が削り取られてしまいます。なので、頑張るべき部分のために、頑張らなくていいところではなんとか肩の力を抜く方法を探したかったし、今同じ悩みで悩んでる人たちには、きちんとそこを組み分けてほしいといつも思っています。ただ、何も考えなくていいんだよということを言いたいわけではなくて、考える方向を、隣人とか自分自身を大事にする方向で深めていってほしいんです。
自身が小説の力を借りて乗り越えてきたものを、現在では同じ悩みを抱える人に届くようにと物語を紡ぐ温さん。彼女の葛藤やそれを乗り越えた先の考え方は、多くの読者にとって、国籍や言語といったラベルではなくありのままの自分と向き合うことの大切さに改めて気付かされる機会となるだろう。そんな彼女は何を想いながら、何を伝えようとして、ことばを書き残していくのか。第二章では、温さんが小説という手段を選択したきっかけや彼女らしさの表現方法を伺う。
【インタビュイー:温又柔さん】
台湾出身の小説家。『台湾生まれ 日本語育ち』『「国語」から旅立って』の著者。2017年芥川賞候補作にも選出されている。
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